《スウェーデン伝統料理》
Rårörda lingon
ローロルダ・リンゴン
北欧の高貴な薬膳 コケモモの砂糖漬け
子供の頃読んだ海外のお話に何度も出てきた「コケモモの実」。不思議な響きをもつ果実は当時の私にとって未知の世界を象徴するものでした。
コケモモ(苔桃)の英語名はLingonberry(リンゴンベリー)、スウェーデン語はシンプルにLingon(リンゴン)。
ツツジ科スノキ属の常緑広葉樹の小低木で、森に自生して夏の初めに可愛らしい花を咲かせたのち8月〜10月頃にかけて小さな赤い実をつけます。
都心の住宅街でも少し歩けば森があるスウェーデンでは誰もがベリーやキノコを採集することを認められているので、散歩中にコケモモを摘んでタルトに焼いてお茶の時間(Fika/フィーカ)にいただく、という贅沢も楽しめます。大人の膝よりも低い位置に実るため屈んで探すのは大変ですが収穫の喜びは何にも代えがたいもの。
夫や親族との会話でも、スウェーデンの人々にとってコケモモがどれほど大切なものかを感じる場面が多々あります。80代の親族に持参したプレゼントでなにより感激されたのも、私が作ったコケモモの砂糖漬けでした。
8月後半(近年は気温が高いためもう少し早めです)、市場にコケモモが出回ると保存食作りが始まります。様々な種類がありますが家庭で多く作られるのは「ジャム」、そして「砂糖漬け」の2種類。
Sylt(スィルト)と呼ばれるジャムは砂糖を加えて煮たもの(加熱)。砂糖漬けはRårörda lingon(ローロルダ・リンゴン)という名前で、「Rårörda=生で・かき混ぜた」いう意味の通り火を加えず砂糖漬けにしたコケモモ(非加熱)。
どちらも材料は砂糖とコケモモなので同じような気もしますが、現地において両者は厳然と区別され、ジャムはトーストやパンケーキに、ローロルダ・リンゴンは多くの場合、メインとなる肉料理などにソースのように合わせます。スウェーデン風ミートボールに添えられるのも、本場ではこのローロルダ・リンゴンです。
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その理由は風味の違いにあります。
生で食べると強い酸味と少しの渋味を感じるコケモモも、ジャムにすると甘さが勝ち酸味もマイルドなのでイチゴジャムなどと同様にトーストやスイーツに向きます。ローロルダ・リンゴンは加熱しないため甘さに加えて本来の酸味が残り、粒を噛むと果実の爽やかさが口中に広がります。料理に深みを持たせると同時に後口もさっぱりとさせてくれるので、クリームを使った重たい料理も一口また一口と進むうえ胃もたれもしない不思議。私個人にとっても秋冬の食卓に欠かせない存在です。
果物を加熱してジャムにするのは保存のため。なのに非加熱のローロルダ・リンゴンが長期保存できる理由はコケモモに含まれる安息香酸の働きによります。天然の防腐剤とも呼ばれる安息香酸は腐敗の原因となるカビなどの微生物の繁殖を防ぐので、そもそも気温も湿度も低い北欧では加熱殺菌を行わなくても長期保存が可能でした。砂糖が貴重品だった時代には水に浸けただけの状態での保存も行われていたそうです。
現代は室内が暖かいこともあり冷蔵庫での保管が一般的。我が家の冷蔵庫にも瓶が並びますが、検証のために一年以上おいたものも全く傷んでいないことに驚かされました。ただし風味は落ちていくため、次のコケモモシーズンまでには使い切るようにしています。
ローロルダ・リンゴンは仕込んだ翌日から楽しめます。まだ日中の暑さも感じる時期は炭酸水を加えてドリンクにしたりアイスクリームのトッピングでフレッシュさを満喫。そうこうしているうちにやってくるのが秋の狩猟シーズンです。
中医学において秋は大切な養生の季節。冬眠前の動物たちと同じようにエネルギーを蓄えて長く厳しい冬を乗り越えるための準備をします。狩猟で(スーパーでも)得た鴨や鹿などの良質なタンパク質を旬のキノコや野菜とあわせていただく際に活躍するのがローロルダ・リンゴンです。
物流や保存技術が未発達の時代には、厳しい冬の間も人々の生命を繋いだローロルダ・リンゴン。新鮮な野菜が入手できない中で、エネルギーとビタミンが豊富なうえに胃腸を丈夫にして消化もサポートする保存食は限られた食事での栄養摂取効率も高め、結果的に冬を乗り越える心強い助けとなりました。
鮮やかな色もまた重要なポイントです。北欧は10月ともなれば日照時間がかなり短く、独特な暗さの夜がとてもとても長くなります。全体が強い陰の気に支配され、煮込み料理が増えるので食卓の色彩も茶色率(陰)が上昇。日本でのイメージとはうらはらに北欧での鬱病発症率が高いのも頷けます。そこに鮮やかな赤色(陽)を添えて心まで明るくしてくれるローロルダ・リンゴン。さらには寒さで滞りがちな新陳代謝を高めて血流をスムーズにすることで、冬に起こりやすいといわれる脳卒中や心筋梗塞などの予防にもつながったのではと、恩師と語り合ったこともありました。まさにコケモモは北欧ならではの薬膳食材であり、ローロルダ・リンゴンは先人の知恵が詰まった北欧の薬膳食なのだと実感する日々です。
コケモモの活躍は陸上に留まりませんでした。重度のビタミンC欠乏症により引き起こされる、船乗り達にとって身近で恐ろしい壊血病。ビタミンCが豊富で長期保存もできるため、長い航海に出る船に積み込まれ船乗り達の健康をも支えたスーパーフード。ヴァイキングもコケモモの作用を知っていて壊血病の予防や尿路感染症の治療に使ったそうです。
*クマコケモモ(熊苔桃/Bearberry)の葉は漢方生薬として膀胱炎の市販薬などに使われています。
(コケモモと同じツツジ科。学名のuva-ursiからウワウルシ/ウバウルシと呼ばれます)
近年「若返りの果実」「スーパーフルーツ」として世界中で人気が高まっているコケモモには各種ビタミンやミネラル・カルシウム・食物繊維などが豊富に含まれます。
アントシアニンやレスベラトロールなどのポリフェノールも豊富なため、高い抗酸化作用や抗炎症作用による美肌・アンチエイジング効果に加え、血流をスムーズにすることによる心血管疾患のリスク軽減や高血圧の予防改善、抗癌作用も期待されるコケモモ。葉に含まれるアルブチンがメラニン色素の生成を抑制する効果にも注目が集まり、紫外線によるシミ・ソバカスにアプローチする化粧品へも活用されています。
北欧の人々にとっての生命の実、コケモモ。
スウェーデン国外で販売されるのは加熱したジャムがほとんどですが、日本でも冷凍した生コケモモが入手できるようですのでご興味のある方はぜひローロルダ・リンゴンを試してみてください(レシピは本ページ下部にあります)。
日本産もあるものの今はとても希少になっているようですね。長野でお気に入りだったジャムも懐かしいです。
⇦こけももが刺繍されたクリスマスの飾り。
God Helgはクリスマスなどを祝う言葉です。
夫の叔母が数十年前に作ったもの(叔母は今年81歳!)。
家具やテキスタイルのパターンとしても老若男女に愛されるこけももです。
〜追記〜
実は日本で翻訳された文学作品中のコケモモは、多くが「コケモモではなかった」と、最近知りました。
ビルベリーやクランベリーなどがコケモモと翻訳されていたのだそうで、私が読んだ作品の中のコケモモ達も元はなんだったのだろうと気になるこの頃です。
⇩東京大学総合研究博物館、寺田鮎美特任准教授によるコラム(2019年)
https://www.intermediatheque.jp/en/rescolumn/view/year/2020/id/RC0171
Rårörda lingon
(ローロルダ・リンゴン)
コケモモの砂糖漬け
【材料】作りやすい分量
・新鮮なコケモモの実(冷凍品も可) 200g
・砂糖(きび糖などお好みで) 200g
【作り方】
1. ボウルに水を張り、コケモモを入れてさっと洗ったら清潔なタオルやキッチンペーパーに広げる
2. 余分な水気をタオルに吸わせながら、混ざっている葉や小枝・傷んだ実を取り除く
3. 水気を拭いたボウルに入れて砂糖を加え、実を潰さないようにヘラで優しく混ぜる
4. ラップをかけて涼しい場所におき、数時間毎にさっくりと全体を混ぜ合わせる
5. 1〜2日経って砂糖が完全に溶けたら煮沸消毒した瓶に入れて密閉し、冷蔵庫で保存する
【ポイント】
・葉などを除く作業は完璧でなくても問題ありません(我が家では目視で8割程度)
・手順3〜4で、コケモモをボウルに入れたまま休ませる場所がない・気温が高くて傷むのが心配
な場合などは、砂糖が溶けていない状態のまま煮沸消毒した瓶に詰めて冷蔵庫保管にしても可
その場合は1日に数回冷蔵庫から取り出し、瓶を優しく振って砂糖が混ざるようにします
・北欧では冷蔵庫で6ヶ月以上もつと言われますが気温や冷蔵庫の使用状況にもよります
・あまり時間が経つと風味も落ちるため3〜4ヶ月ほどで使い切るのがおすすめです
【楽しみ方】
・炭酸水を加えて爽やかなドリンクに
・アイスクリームやチーズケーキなどにトッピング
・グリルしたお肉やステーキのソースに
・ミートボールに添えると本場の味を楽しめます
・魚のフライにもよく合います
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*この投稿は過去に楽天ブログ(国際中医師のyakuzen的食卓)での投稿を移動・加筆修正したものです。